「鷺沼の虫送り」公民館職員・江口さんが独自調査
かつて習志野市内で行われていた伝統行事「鷺沼の虫送り」について学ぶ市民向け講座が、先月26日、菊田公民館で開かれた。
虫送りは農作物に害を与える虫を村境や海などまで送り、豊作を祈る日本の伝統行事。かつては各地で盛んに行われていたが、農薬の普及や少子高齢化に伴い急速に減った。県内では袖ケ浦市や九十九里町のものが知られている。
そんな虫送りが習志野市内にもあったと同館職員の江口和夫さん(=写真・65)は言う。独自に調査した内容を12人の参加者に解説した。
およそ1年半前、江口さんは同公民館の倉庫で古いミニアルバムを発見。「虫送りの行事(鷺沼村)」と書かれた表紙、計44枚の写真にくぎ付けになった。発着点の慈眼寺(鷺沼3)住職による祈祷、畑と行列。撮影年は写真から昭和50(1975)年と推測した。「どんな行事だったのだろう。なぜ昭和50年なのに村なのか」。元教諭の血が騒いだ。
市役所に残されていた調査メモや地図を入手。ネガがなく撮影順が分からなかったが、虫めがねを手に写りこんだ風景や影、腕時計が指す時刻から推測した。住民に聞き取り調査もしたが、当時のことを知る人を見つけるのは容易ではなかった。「20年か30年、調べるのが遅かったかもしれない。鷺沼にも開発の波が押し寄せてきており、当時の風景も資料も残らないのでは寂しい。復活とまではいかなくても、看板や資料で残したい」と情報提供を呼び掛ける。
講座では、「五穀豊穣万民豊楽」といった文字、太鼓やかねをはやしながら歩く男性たちの姿を紹介。すると、参加者の男性(77)が写真を指差し「このオヤジ知ってる。近所にいたよ。そうだ、こんな顔だった」と声を上げた。男性は鷺沼で育ち、虫送りに行く父親を見送った記憶があるが、行事に参加したことはない。「地味なもんで、子どもが付いていくような祭りではなかった。いつの間にか、なくなっていて…。改めて当時のルートを歩いてみたい」。
江口さんによると、用いた太鼓やかねの在りかは不明。「旧家や寺社に当時のことを記した資料があれば」と手掛かりを探している。
「今はまだ、虫送りの面影を少しだが感じられる。歩くなら、お勧めはヒバリがさえずる春ごろ」。今後、若い世代に伝えていきたいという。
問合せ℡(452)7711同館