玉川旅館 歴史に幕
船橋の割烹旅館「玉川旅館」(湊町2)が4月30日に閉館した。作家の太宰治が宿泊したとされる老舗も時代の流れには勝てず、新型コロナウイルスの影響で最後の営業もままならないまま、ひっそりと100年の歴史に幕を閉じた。
画像=「桔梗の間」に立つ長野さん
玉川旅館は今月19日に記者会見を開き、4代目社長の小川了さん(71)は「大正、昭和、平成、令和と続いてきた玉川旅館を閉館することになった。断腸の思い」と語った。建物は老朽化が進み、自然災害への対応で修繕費用がかさみ、特殊な屋根瓦の更新も課題だった。追い打ちを掛けるようにコロナ禍が直撃し宿泊や宴会のキャンセルが相次ぐ中、苦渋の決断を下した。
3代目おかみの長野與子さん(73)は「常に大工さんが入って修理しないといけない。(建物の作りを)変えてしまうのなら、私たちの代でなくしてしまったほうが良い。皆さまが明るい顔で笑っている光景が一番の思い出」と寂しそうにつぶやいた。
国文化財も 6月から解体
1921年(大正10年)に料亭として創業。2008年には国の登録有形文化財(建造物)として登録された。
現存する本館、第一別館、第二別館はいずれも昭和初期の建築で、埋め立て前の海岸に近く、高波被害に備えるため高床式になっているのが特徴だ。戦前には陸海軍の高級将校も好んで利用したといわれる。
1935年から1年あまり船橋に住んでいた文豪・太宰が20日間宿泊し、小説を書いたとされる「桔梗の間」。夏の時期に「飲み仲間から逃れるように」(長野さん)、閉じこもって執筆に専念したと伝わっており、多くのファンが泊まりに来たという。
創業100年目の閉館。長野さんは「お祭りやお正月に使ってもらうなど、近隣の支えがあったからこそやってこられた。温かい声が励みになった」と地元への感謝を述べた。6月から建物の解体工事を行う予定だが、船橋市教委は解体前に映像の撮影や専門家による調査を行い、後世に記録を伝えていく方針だ。