能登半島地震から2ヶ月半 鎌ケ谷で暮らす前田さん夫妻

能登半島地震で被災した輪島市の前田弥三松さん(92)・和子さん(85)夫妻が鎌ケ谷市に避難してきて2カ月になる。

画像=全壊の母屋と納屋(潤一さん撮影)

夫妻が暮らしていたのは輪島市の中心部より東にある町野町。山あいにあり町民の多くが農業と林業に従事している。人口約2千人で65歳以上が町民の半数を超える、いわゆる限界集落だ。

地震で前田さん宅を含め近隣の家の大半は全壊となった。小学校の体育館に避難したが、道路が寸断されたために数日間は孤立状態に。水や食料、寝具などあらゆるものが不足していたため、各家から持ち出せるものを持ち寄ってしのいだという。

首都圏で暮らす長男の前田潤一さん(51)は両親としばらく連絡が取れず、安否を案じていた。地震発生から4日後にようやく無事であることが分かり、車で両親の元へ向かった。土砂崩れや地割れなどで通れる道路も限られており、通常約7時間の道のりが2日かかった。

潤一さんが避難所に到着したとき、2人は食事も十分にできておらず憔悴した様子だった。鎌ケ谷市内の自宅に連れて帰り、風呂や温かい食事と取るとほっとした表情を見せた。

現在、夫妻は市が無償提供する公営住宅で暮らしている。ライフワークだった家庭菜園はできないが、毎日散歩をしたり、孫娘と買い物したりして過ごしているという。

「できることなら古里に」
今後について尋ねると弥三松さんは「15代続く家の土地や家屋を自分の代で無くしてしまうのは先祖に申し訳ない」と古里へ戻ることを希望している。一方で、潤一さんは「働く場所もない限界集落の町が復興できたとしても、若い世代が戻るだけの魅力があるのか疑問。必要な家財道具を運び出して、輪島近隣の別の場所で暮らすことが現実的」と考え両親に提案している。

国の住宅再建支援策などについて和子さんは「交付金はありがたいけれど、住居だけじゃなくスーパーなど街が元に戻らないと戻っても生活できない」と話す。

家族全員で最善の選択を見つけていきたいという。