初出場の金杉台健闘 「ビリ脱却」掲げ生徒に自信

県大会初出場の金杉台中男子は45校中24位でゴール。沼田海翔主将(3年)は「いいレースができた。みんなが一人ひとり、順位を上げてくれた」と仲間をたたえた。

画像=中継所でタスキをつなぐ4区安原㊨と5区竜門

同中は少子高齢化が進む団地に囲まれた立地で、全校生徒数は62人と船橋市内で最も少なく、23年には隣接校と統合する予定だ。現在、各部活動ではメンバー集めに苦慮しており、陸上競技部はない。駅伝はわずか39人の男子の中から選ばれた6人で戦う。そんな不利な条件にも関わらず市大会で3位に入り、今大会の出場権を得た。

その快挙の裏側には「生徒に自信をつけさせたい」という芦田正博校長(60)の思いがあった。同校に赴任してきた当初、市大会では最下位が指定席。卓球部など他競技の生徒をかき集めても結果は見えており、駅伝には出たくないという声もあり、積極的に取り組む生徒は少なかった。

「ビリ脱却」を掲げ、芦田校長は自ら監督として生徒に声を掛け、選手を募った。走り込みから始め、19年秋の市大会で27校中26位。20年初頭の成人の日記念駅伝では19位まで順位を上げ、手応えを感じた生徒らは練習に身が入るようになった。個人競技の陸上大会にも出場し、好成績を残した。

それでも「県駅伝に出るぞ」という芦田校長の言葉を、「誰も信じていなかった」とメンバーは笑う。県大会進出を決めた瞬間、選手らは目をうるませた。石津翼人(3年)は「びっくりした。ここまで行けるとは」。多くの市教委関係者も「生徒数の少ない金杉台が3位とは」と驚愕した。

「この人数でも、これだけのことができる」。芦田校長の思惑通り、生徒らは自らの可能性を引き出した。県大会では「みんなで走るのは最後。楽しみながら悔いのない走りを」(石津)とタスキをつなぎ、晴れやかな表情でレースを終えた。